Espen Berg Trio ノルウェー

Fjære

ノルウェー・ジャズシーンで確固たる地位を築いているピアニスト、エスペン・バルグ。詳細は当ウェブサイトのPEOPLEセクションを見ていただきたいが、その彼が率いるのが2014年に結成された エスペン・バルグ・トリオ(EBT)だ。ノルウェーのジャズシティのメッカでもある、トロンハイム科学技術大学(NTNU)で学んだ卓越したスキルと創造性を併せ持つシーモン・オルダシュクーグ・アルバートシェン(drums)、バルー・ライナット・ポウルセン(bass)とともに、2015年にデビュー作『モンステル』、2017年『ボルゲ』(伝説的なレインボースタジオで、エンジニアのヤン・エリック・コングスハウグによって録音)、2019 年『フリー・トゥ・プレイ』をリリースし、これまで3度の来日ツアーを行い、成功を収めている。

その4作目となる『フィヤーレ(Fjære)』は、これまでの諸作に引き続きEBTの最も特徴である北欧の大自然を想起させる「ノルディック・メランコリー」を体現できる抒情的で美しいメロディが聴ける。加えて、リズムの構造と幾層にも重なるレイヤーの可能性を深く追求することにより、その複雑さがメロディとハーモニーの両面に現れる最先端のコンテンポラリー・ジャズが、このトリオを類稀な存在としている。

そして、新しい方向に向かうべく著名な3名のノルウェー人アーティストを迎えた。ECMを代表するマティアス・アイク (tp)、90年代よりワールド・ワイドに活動し、2017年のトリオとのツアーが記憶に新しいシリエ・ネルゴール(vo)、そして自己のグループなどノルウェージャズシーンの多数のプロジェクトに関わるハンナ・パウルスバルグ(ts) により、楽曲の探求とトリオのさらなる可能性を模索している。いくつかのトラックではシンセサイザー、エレクトリックベース、エフェクターも使用されており、アルバム全体の雰囲気もこれまでとは大きく異なるサウンドスケープとなっている点も注目だ。

アルバム『フィヤーレ』は「干潮」のことを意味し、ノルウェー語の「4番目」と同じ発音を持つ言葉だという。これはアルバムが4枚目であること、そして3つのカルテットが収録されていることをさりげなく強調している。また干潮は他の何か隠されていたものが明らかになることに等しいように、例えば北欧では雪がそのような役割を果たしている。雪で覆われた白銀の景色から、雪が解け目の前に広がるフィヨルドの絶景のように、じっくりと時間をかけて育まれたトリオのダイナミックでリリカルな即興演奏に耳を傾け、彼らの軌跡(存在感)を感じ取ってみてほしい。

Espen Berg Trio

左手より、バルー・ライナット・ポウルセン(bass)、シーモン・オルダシュクーグ・アルバートシェン(drums)、エスペン・バルグ(piano) © Christina Undrum Andersen

ECMで好評を博すノルウェーを代表するトランぺッター、マティアス・アイクをゲストにシングルカットがされた『Vintermørke』は、 ノルウェー語で「冬の闇」を意味する。メロディはマティアスがレコーディングに参加時にさらに発展させたもの。ニルス・ペッター・モルベル、アルヴェ・ヘンリクセンなど非常に強い個性を持つノルウェーのトランペット奏者に共通する独特のゆらぎのあるトーンは、大自然の中に身をおくと感じる風や匂いなど様々な要素が詰まったダイナミックな作品。エフェクトやシンセサイザーを最小限に使ったサウンドもシネマティックな夜のような雰囲気を醸し出す効果を果たしている。

1分30秒のイントロダクションに続く『XVII』は複雑な構造の拍子にリズムのレイヤーが絡み合うEBTの最もクリエイティブな側面がみられる作品。17拍子のレアなドラミングにより、進化したラテンフィーリングが生まれている。このようなタイプの楽曲はライブで演奏されるときにその真価が問われる。一瞬たりとも目が離せないインタープレイが彼らにはある。

女性だけの3人組グループGurls、コロナ禍に結成されたFlukten(ベースのバル―もメンバーの一人)ノルウェーのグラミー賞にノミネートされた女性サックス奏者ハンナ・パウルスバルグをフィーチャーした『Åkervise』は「野原の歌」という意味。複雑な楽曲の後にくるシンプルな構成は、バルグの出身地であるノルウェー内陸部の黄金色の野原の静けさを表現し、彼女に向けて書いたという。柔らかなトーンとスムースなフレージングで、ノルウェーの原風景を描くように陰影を付けた非常にセンス良いハンナの即興にも注目したい。

『The Vertical Movements of Eötvös』(エトヴェシュの垂直方向の動き) はオスロのプロペラ・スタジオで自由に即興演奏したものがレコーディングされた。小品ながら無重力空間に身を置いているような雰囲気には独特の空気感と存在感がある。おそらく、これはバルグ曰く、著名なハンガリーの物理学者エトヴェシュ・ロラーンドが重力質量と慣性質量の等価性を示した「エトヴェシュ効果」と呼ばれる、ある物理学の理論に由来していることのように感じる。

作曲時に5歳だったバルグの息子ニコライに捧げた『Nikolai』。2010年以来、前作『フリー・トゥ・プレイ』で愛妻へ向けた「Camila’s song」を含め、これまで家族全員のために作曲するほど家族愛にあふれるアーティストでもある。かわいらしくポジティブなエネルギー、あえて少しおどけた感じの音使いから、笑顔を与えてくれるニコライの性格を表しているのが容易に感じられるように、優しく軽やかに音が流れていく。

2015年公開の映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」から着想を得た『The Fourth Awakens』は、同時に本作4枚目のアルバムの可能性を示唆しているというストーリーがあるという。このSF超大作の戦闘シーンなどにある代名詞とも言える白熱した緊張感を伴うエネルギーとスピードの世界観が、トリオの疾走するテンポとダイナミックなオーケストレーションによって完璧なまでに驚異的に再現されている。

氷のように冷たいノルウェー・スヴァールバルの静かで広大な風景が広がる『Svalbard』では、音と音の間に美を追求する究極のメロディーとハーモニーに、さまざまな風景を思い浮かべることができる。それは、独特な地層や豊かなブルーの水の色彩、そしてオーロラのカーテンが空に舞っているのが表現される。

スタインウェイ&サンズに買い替えたアップライト・ピアノで初めて作った曲『Magnetic Peaks』。モチーフは一瞬で思いついたもので、再度マティアス・アイクが参加する。2004年に初めて訪れたロフォーテン島で、ノルウェー北部の自然を一望しながら山頂に登ったときの感動を曲に託した作品だ。マティアスの参加により一層輝きを増し、全体のわずかにエコーやリヴァーブのかかるサウンドメイクもこの曲の重量な要素となっている。ちなみにこの地の雄大な景色をバックに制作されたPV(Espen BergのYou Tubeより視聴可能)もある。
2017年のEBTを伴ったジャパン・ツアー以降、エスペンとデュオとしても活動するシリエ・ネルゴールが『I’d Do It For Your Love』を唄う。本作唯一のカバー曲はポール・サイモンの美しい曲で、原曲の核を失うことなくアレンジされ、ジャズのみならずポップスのフィーリングを大切にしながら歌い続けてきたシリエの真骨頂が発揮されている。シリエは、90年にパット・メセニーを迎えて制作された『Tell Me Where You’re Going』が日本のラジオ等でパワープレイされてナンバー1の大ヒットとなり、ノルウェーの国民的歌姫としても知られている。特にイギリス、ドイツなど欧州で人気が高く、活動30周年を迎えて2021年にリリースされた最新作『Houses』は、これまで共演してきたヘルゲ・リエン(piano)など著名なノルウェーのアーティストや新たにストリングス・オーケストラなどが参加したクオリティの高い作品に仕上がっている。

ボーナス・トラック『Beyond the Acres of Blue』は2014年リリースのソロ・アルバム『Acres of Blue』からの未発表曲。はっきりとしたメロディのない即興演奏された音のクラスターは、そのまま塊となって見知らぬ果てへゆっくりと運ばれていき視界から消えていく荒涼とした情景が浮かぶ余韻を残してアルバムを締めくくる。

実際、彼らのコンサートに足を運ぶとホール全体に心地良く響き渡る美しいメロディに癒され、ダイナミックなインタープレイに心を揺さぶられ、そして複雑な構造の楽曲でも見事に演奏しきってしまうといったようにジャズの醍醐味の全てを非常に高いクオリティで体感できる。ノルウェーという美しくも厳しいさまざまな環境の中でじっくりと時間をかけて熟成されたサウンドは、そこで暮らす人間の生命力の強さのようなものを感じずにはいられず、そして、それらは心と身体に与える天然の栄養剤のように、ゆっくりと体内を循環していくのである。パンデミックが収束し、この最新作のジャパンツアーが実現できる日まで、何度でもじっくり傾聴したいベストなアルバムだ。

最新情報として、2022年よりYou TubeなどSNSでウィークリーで動画配信を始め、オリジナル曲の複雑な構造やリズムなどについて解説している。リスナーはもちろんミュージシャンにとってもEBTの世界観を理解するのにひと役買う貴重な内容となっている。

エスペン・バルグ(piano, synthesizer)、バルー・ライナット・ポウルセン(upright and electric bass)、シーモン・オルダシュクーグ・アルバートシェン(drums, congas)、ゲ ス ト:シリエ・ネルゴール(vocals)、マティアス・アイク(Trumpet)、ハンナ・パウルスバルグ(Tenor sax)

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